突然ですが、わたしがかつて早期妊娠検査薬を買うのに利用していたショップの案内です。
BE SHOP
http://www.beshop.net
今日ここからのメルマガの購読解除をしたので、存在を忘れないうちに記録しておこうと思い・・・。ここで注文すると、いきなりアメリカから小包が届きます(笑)。びっくりするけど、このやり方(輸入法?)が正攻法のようです。輸入者さんが直接分けてくれるネット通販もありますが、それはどうやら合法的ではないようです。買う立場としても、どうせなら後ろ暗くない方がいいですよね。
自分で直接海外サイトから買うっていう方法もあるかもしれませんが、そもそもあんまり沢山買いたいものではないですよね・・・。
2008⁄03⁄17 17:22 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
BE SHOP
http://www.beshop.net
今日ここからのメルマガの購読解除をしたので、存在を忘れないうちに記録しておこうと思い・・・。ここで注文すると、いきなりアメリカから小包が届きます(笑)。びっくりするけど、このやり方(輸入法?)が正攻法のようです。輸入者さんが直接分けてくれるネット通販もありますが、それはどうやら合法的ではないようです。買う立場としても、どうせなら後ろ暗くない方がいいですよね。
自分で直接海外サイトから買うっていう方法もあるかもしれませんが、そもそもあんまり沢山買いたいものではないですよね・・・。
2008⁄03⁄17 17:22 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
決して自慢できることじゃないのですが、わたしは、いわゆる不妊にまつわるネタのブログを始めてから、現ブログに辿りつくまでの間に、4回引越しをしました。毎回、一部の読者から逃げるためにそんなことをしていました。
この世界は、ものすごく”思い入れが強い”世界でもあり、また一方で、ものすごく意識が”薄弱な”世界でもあります。ものすごく自分の考え方に頑固な人がいる一方で(わたしはこっち)、逆にものすごく自分の考えが無く、あっちの意見、こっちの意見とフラフラよろめき頼っている感じの人もいます。多くは後者でしょうか。どうしたらいいか分からなくて「情報収集」の名の下に漂浪してしまう感じです。不妊には「コレ!」と言った特効薬もなく、妊娠するためのノウハウも人それぞれで情報が錯綜しているから、ある意味やむをえません。一人の人が一度に頑固でもあり優柔不断でもあったりすることもあるかもしれません(わたしもそうだったかなと・・苦笑)。
そんな世界に飛び込んでみて、わたしにとっては、意見の齟齬を感じることが非常に頻繁な世界だと感じられました。かといってそこは議論を戦わせてよりよい方法論を模索するような世界ではありませんでした。感情を交し合い、共感しあい、傷を舐めあう世界でした。他人と共感し合えなくなった時点、他人の傷を舐めてあげる気力を失った時点で、ジ・エンドとなる世界でした。わたしは、どんどんはぐれ狼みたいになっていきました。(そんなはぐれ狼を愛してくれた友もいて、わたしはどんなに心和まされ、感謝したことでしょう!)
でも、わたしにとって、はぐれ狼となって孤高の歩みを続けることが結局、自分を支える根幹となるものでした。完全に参考になる先輩(この人と全く同じようにやってみたら良いと思えるような先輩)を見出すことはできませんでした。土台無理だったと言った方がいいかもしれません。本当に、人の数だけ様々な処方箋が必要な世界だったと思います。孤独になること(言い換えれば、自立すること)は必須でした。自分の身体を自分で見つめ、自分の直感だけを信じ、自分に相応しい場所、自分に必要なアイテムを手探りで見出そうとする旅となりました。他人のやり方に違和感を覚えることは、むしろ、「自分のやり方」を見出す直感を研ぎ澄ますことに繋がったかもしれないと今では思います。他人のやり方を眺めることはある程度役には立ちましたが、徒党を組んだり、もっぱら感情論を交わすだけとなったり、下手したらさらに美辞麗句を交わすだけとなったり・・・といったことは避けるべきことでした。
社会に生まれ出た「子供」というものは、ある程度は社会全体の財産でもあり、「子育て」というテーマはその分、社会の共通項たるべきものであり、「べき論」を論じることも成立するものなのかなと思うのですが、「子作り」というのは、完全にプライベートに閉ざされた問題である点が大きく異なるのだと思います。何故なら、妊娠とは、妻と夫の肉体だけがホームベースとなる問題だからです。どんなに仲間を作って語り合っても、特定の親しい他人のお世話になって子供を授けてもらうケースというのはありえませんし(里子はまた別問題として)、最終的には結局、我が身と伴侶の身に立ち返るより他はない道です。最終的には、他人を交えて複数人で問題を共有するということ、「一緒に頑張りましょう♪」ということは実現しえない道なのです。仲間の励ましに支えられて妊娠することができたと振り返ることは可能ですが、それはやはり自分自身の努力や戦いが存在して初めて言えることだろうと思います。完全に他力本願で、他人(医師?)が敷いてくれたレールに乗っただけで妊娠できたというラッキーなケースもあるでしょうが、そもそも難なく妊娠できる人の方が多数なのですから、そういうケースの人はどちらかというと「難なく妊娠できる人」の部類だったのだと言えるでしょう。
そうではなく、一度でも「ああ、妊娠って難しいんだ」と痛感したことのある人にとって、それでもあえて妊娠を望まんとする道は、嫌でも私的で孤独な道に突き進んでいかなければいけない、そういう寂しい試練の道なのだと思います。そうした道を歩む人にとって、問題の考え方について他人に依存したり甘えたり・・という姿勢は、鼻から本末転倒なことなのであって、妊娠という目的にはほとんど役立たない、せいぜいおまけ的な慰め、あるいは回り道にすぎないように思えます。
わたしはこうしてブログに記事を書くときも、どうしても抽象的なことばかり先に書いてしまうのですが、それは、わたしが経験した具体的なアレコレは結局他人の参考になる可能性がすごく低いと感じるからです。具体的なアレコレは、本人が真剣に自分で模索していかなかければどうしようもないと感じているからです。「自分で模索」するために必要なことや、陥ってはマズイと思うことだけを、あえてできるだけ抽象的に(婉曲的に?)お伝えすることしかできないと感じています。
徒党を組んでいるだけで、知らず知らずのうちに、判断基準を植えつけられてしまうことがあるように思います。自分で判断しているつもりのことも、実は他人の模倣でそうしているにすぎないということがあるように思います。あえて”徒党”なんて組んでいなくても、他人の様子に目を向けるだけであっさりと感化されてしまう場合もあるかと思います。予防線の張り方もまた、人それぞれかなと思います。わたしの場合は、思い切ってかなり意識的に他の妊娠待ちの人と遠ざかっていないと自分が保てない(自分が苦しくなる)ことがすぐに分かったので、はぐれ狼みたいなことにならざるをえませんでした。わたし自身はそもそも他人の判断に流されることの少ない人間なのですが、そうしてあたかも独善的な態度を保っていることが、馴れ合いをむしろ善しとする人にとって目障りになるのではないかと恐れ、自分のブログ内での発言すらも萎縮してしまいがちでしたし、こちらからはあえておべっかなコメントを書くこともできない(あるいは無理して書く)ことが何とも苦しく思えたのです。
そんなこんな右往左往しながらはぐれ狼みたいな姿をして、我ながら惨めだなぁ、みっともないなぁなんて思い、嫌になることもありましたが、”友達100人”と馴れ合う世界に舞い戻ることは最後までありませんでした。最終的には不妊をテーマとしたブログそのものを止めるに至りました。そうすることで、結果としては、自分も守りきることができ、自分の目的に辿りつくことができましたので、やはり正解だったんだろうなと今では思っています。
不妊であることを恥じ、他人に苦労を打ち明けられなかった時代と比べて、こうしてネットでいくらでも語り合えるようになった今は良いと評価し感謝する人も多いようですが、実際のところはどうなんでしょうか。もちろん、不妊を恥とすることは無用となりました。でも、「孤独に(自立的に)取り組む」ことの再評価・再挑戦はあっても良いのではないかとわたしは思っています。
2005⁄12⁄13 18:28 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
この世界は、ものすごく”思い入れが強い”世界でもあり、また一方で、ものすごく意識が”薄弱な”世界でもあります。ものすごく自分の考え方に頑固な人がいる一方で(わたしはこっち)、逆にものすごく自分の考えが無く、あっちの意見、こっちの意見とフラフラよろめき頼っている感じの人もいます。多くは後者でしょうか。どうしたらいいか分からなくて「情報収集」の名の下に漂浪してしまう感じです。不妊には「コレ!」と言った特効薬もなく、妊娠するためのノウハウも人それぞれで情報が錯綜しているから、ある意味やむをえません。一人の人が一度に頑固でもあり優柔不断でもあったりすることもあるかもしれません(わたしもそうだったかなと・・苦笑)。
そんな世界に飛び込んでみて、わたしにとっては、意見の齟齬を感じることが非常に頻繁な世界だと感じられました。かといってそこは議論を戦わせてよりよい方法論を模索するような世界ではありませんでした。感情を交し合い、共感しあい、傷を舐めあう世界でした。他人と共感し合えなくなった時点、他人の傷を舐めてあげる気力を失った時点で、ジ・エンドとなる世界でした。わたしは、どんどんはぐれ狼みたいになっていきました。(そんなはぐれ狼を愛してくれた友もいて、わたしはどんなに心和まされ、感謝したことでしょう!)
でも、わたしにとって、はぐれ狼となって孤高の歩みを続けることが結局、自分を支える根幹となるものでした。完全に参考になる先輩(この人と全く同じようにやってみたら良いと思えるような先輩)を見出すことはできませんでした。土台無理だったと言った方がいいかもしれません。本当に、人の数だけ様々な処方箋が必要な世界だったと思います。孤独になること(言い換えれば、自立すること)は必須でした。自分の身体を自分で見つめ、自分の直感だけを信じ、自分に相応しい場所、自分に必要なアイテムを手探りで見出そうとする旅となりました。他人のやり方に違和感を覚えることは、むしろ、「自分のやり方」を見出す直感を研ぎ澄ますことに繋がったかもしれないと今では思います。他人のやり方を眺めることはある程度役には立ちましたが、徒党を組んだり、もっぱら感情論を交わすだけとなったり、下手したらさらに美辞麗句を交わすだけとなったり・・・といったことは避けるべきことでした。
社会に生まれ出た「子供」というものは、ある程度は社会全体の財産でもあり、「子育て」というテーマはその分、社会の共通項たるべきものであり、「べき論」を論じることも成立するものなのかなと思うのですが、「子作り」というのは、完全にプライベートに閉ざされた問題である点が大きく異なるのだと思います。何故なら、妊娠とは、妻と夫の肉体だけがホームベースとなる問題だからです。どんなに仲間を作って語り合っても、特定の親しい他人のお世話になって子供を授けてもらうケースというのはありえませんし(里子はまた別問題として)、最終的には結局、我が身と伴侶の身に立ち返るより他はない道です。最終的には、他人を交えて複数人で問題を共有するということ、「一緒に頑張りましょう♪」ということは実現しえない道なのです。仲間の励ましに支えられて妊娠することができたと振り返ることは可能ですが、それはやはり自分自身の努力や戦いが存在して初めて言えることだろうと思います。完全に他力本願で、他人(医師?)が敷いてくれたレールに乗っただけで妊娠できたというラッキーなケースもあるでしょうが、そもそも難なく妊娠できる人の方が多数なのですから、そういうケースの人はどちらかというと「難なく妊娠できる人」の部類だったのだと言えるでしょう。
そうではなく、一度でも「ああ、妊娠って難しいんだ」と痛感したことのある人にとって、それでもあえて妊娠を望まんとする道は、嫌でも私的で孤独な道に突き進んでいかなければいけない、そういう寂しい試練の道なのだと思います。そうした道を歩む人にとって、問題の考え方について他人に依存したり甘えたり・・という姿勢は、鼻から本末転倒なことなのであって、妊娠という目的にはほとんど役立たない、せいぜいおまけ的な慰め、あるいは回り道にすぎないように思えます。
わたしはこうしてブログに記事を書くときも、どうしても抽象的なことばかり先に書いてしまうのですが、それは、わたしが経験した具体的なアレコレは結局他人の参考になる可能性がすごく低いと感じるからです。具体的なアレコレは、本人が真剣に自分で模索していかなかければどうしようもないと感じているからです。「自分で模索」するために必要なことや、陥ってはマズイと思うことだけを、あえてできるだけ抽象的に(婉曲的に?)お伝えすることしかできないと感じています。
徒党を組んでいるだけで、知らず知らずのうちに、判断基準を植えつけられてしまうことがあるように思います。自分で判断しているつもりのことも、実は他人の模倣でそうしているにすぎないということがあるように思います。あえて”徒党”なんて組んでいなくても、他人の様子に目を向けるだけであっさりと感化されてしまう場合もあるかと思います。予防線の張り方もまた、人それぞれかなと思います。わたしの場合は、思い切ってかなり意識的に他の妊娠待ちの人と遠ざかっていないと自分が保てない(自分が苦しくなる)ことがすぐに分かったので、はぐれ狼みたいなことにならざるをえませんでした。わたし自身はそもそも他人の判断に流されることの少ない人間なのですが、そうしてあたかも独善的な態度を保っていることが、馴れ合いをむしろ善しとする人にとって目障りになるのではないかと恐れ、自分のブログ内での発言すらも萎縮してしまいがちでしたし、こちらからはあえておべっかなコメントを書くこともできない(あるいは無理して書く)ことが何とも苦しく思えたのです。
そんなこんな右往左往しながらはぐれ狼みたいな姿をして、我ながら惨めだなぁ、みっともないなぁなんて思い、嫌になることもありましたが、”友達100人”と馴れ合う世界に舞い戻ることは最後までありませんでした。最終的には不妊をテーマとしたブログそのものを止めるに至りました。そうすることで、結果としては、自分も守りきることができ、自分の目的に辿りつくことができましたので、やはり正解だったんだろうなと今では思っています。
不妊であることを恥じ、他人に苦労を打ち明けられなかった時代と比べて、こうしてネットでいくらでも語り合えるようになった今は良いと評価し感謝する人も多いようですが、実際のところはどうなんでしょうか。もちろん、不妊を恥とすることは無用となりました。でも、「孤独に(自立的に)取り組む」ことの再評価・再挑戦はあっても良いのではないかとわたしは思っています。
2005⁄12⁄13 18:28 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
久しぶりに「どうやって妊娠したか」という話なのですが。
今日はメンタル的なことを。
「”妊娠”のことを意識しすぎて、それがストレスとなって体調を崩し、結局妊娠できない」と考える人は多いと思うのだけれど、実際にそうしたことをつぶやいている多くの妊娠待ちの方たちのブログなどを読ませてもらっていると、微妙に、ちょっとした違和感を感ずることがあります。
わたしは、妊娠のことを意識することはそれ自体は毒にはならないと思っています。妊娠できた今もそう信じます。問題なのは、妊娠に対する意識しかなくなってしまう、自分がそれだけで満杯になってしまうということなんだと思います。妊娠に対する意識というものは、どんなに最大限に膨らませてみてもさして大きなことではないと思います。知識にも限りがありますし、できることにも限界がありますから。自分がそのことだけで一杯になってしまう、というのは、ある程度の大きさをもっている自分の中に妊娠への意識が沢山詰まっているのではなく、自分がその意識の小ささまで、小さく縮こまって固くなってしまうという感じではないでしょうか。(視野が狭くなるという言い方もされると思いますけれど。)
そうではなくて、自分という器の中の半分ぐらいが、妊娠への強い夢で締められている感じだったら問題ないのだと思います。ありとあらゆる妊娠への意識が自分の中にあるとしても、もう半分、という余裕がありさえすれば、柔軟性は保てると思うので。
妊娠を阻害するストレスとなると誤解されがちなこと、いろいろあります。
まず第一に、子宝に対する夢、希望。それは、やっぱりあっても決して罪じゃないと思います。こんな言い方をするのは、なくても別に悪くないということを配慮しなくてはいけないからなんですけれど。ふつーに”我が子”に憧れる人はその気持ちを素直に大事にしていいと思います。気持ちっていうのはそもそも変幻自在ですから、別に極端に走って捨てたりしなくても、ささやかな形で保持しつづけることがきっとできると思います。
次に、基礎体温を計ることとか、排卵日を予測することとか。
辛さが募ってくると、体温計が憎いとか、ピピピ音が憎いとか、基礎体温表が憎いとかいう感情をもつ方もいるようなんですけれど、そうした感情への落ち込みは、やはり何とか軌道修正した方が良いと思います。「憎い」と思う感情は、確かにストレスになるかもしれません。でも、体温計には罪はないのです。きちんと冷静に基礎体温を計ってタイミングを計ることで妊娠できた人にとっては、その体温計は大いに活躍してくれた戦友として大事に取っておかれるほどのものにもなりうるわけで、結局は、人がどう思うかの違いです。自分自身にとって必要な数少ない大事な道具を捨てたりしたら、結局は自分自身のロスになるのであって、自分自身の負けなのだということを知ってもらえたらと思います。
妊娠待ちで苦しんでいる人たちのブログを巡ってみれば、マイナス感情の共感を結ぶことも可能です。でもそれは、一緒に手に手を取って負ける算段をしているようなものです。苦しみを共感しあうことは心の慰めになるでしょう。でも、共感しあった後には必ず「でも、やけっぱちにならないでまた頑張ろう」という風に、ぜひ励ましあって欲しいと思います。
もう一つ。
「頑張ること」。
「妊娠は、どんなに頑張ってもどうにもならないことだから」ということをよく聞きます。確かにそうです。でもそれは、妊娠が確率論だからです。しかも率が低いからそう思えるのです。妊娠待ちの女性が頑張れることは何一つないと勘違いするのは間違いです。
自分に甘えずに、タバコはきっぱり絶って欲しいと思います。ジャンクフードを食べることが自分の身体に悪いのではないかと不安に思う人は、やはり自分に甘えずに食べない努力をして欲しいと思います。一月だけで結論を出さずに、何ヶ月でも我慢し続けて、半年以上経ってから結果を観察し始めて欲しいと思います。
体質改善に良いと思うことがあるのなら、一ヶ月単位で飽きたり見限ったりしてコロコロととっかえひっかえするのではなく、もっと気長にじっくり取り組んでみて欲しいと思います。
信じる力を支えるのは自分です。「ぐぐぐっ」と支える努力、それは紛れもなく「頑張る」項目です。
努力を怠って、自分自身で確率を下げるようなことだけはしないようにして欲しいと願います。
「マイナスになることをしない努力」と「待つ努力」、この二つは「頑張れる」ことです。
「何も頑張らず、我慢せず、気侭に楽しく生きている方が妊娠できる」と信じている人がいますが、わたしはそうは思いません。わたし自身は、そのようにして妊娠したわけではなく、わたしなりに摂生を続けていたからです。
妊娠した月、確かにわたしは、新たな受験勉強のことや、新しく買い始めたウサギのことに熱中していて、心の大部分が「妊娠」以外のことで占められていました。でも、基礎体温はそれまで以上に毎日欠かさず計っていましたし、排卵日検査薬もタイミングを逸することなくきちんと使って陽性をキャッチしていました。漢方もお灸も太極拳・気功も、時々忘れることはあっても、止めるつもりはありませんでしたし、飽きたつもりもありませんでした。それはもう、わたしにとって日常的な、当たり前の生活習慣になっていたと言えるかもしれません。特に意識することなく、淡々と継続を繰り返していました。鍼灸院の先生からは体質に合わないから辛いものは避けた方が良いと言われていたので、キムチはもう何ヶ月か買ったことがありませんでした(納豆キムチチャーハンはわたしの好物だったのですが)。
わたしは、実際に妊娠して初めて、自分が取り組んでいたことが効果があったのだと確信しました。それまでは、自分の体質が改善されたかどうかなんて分かりようがありませんでした。”気のせい?”程度の変化を見つけてはひとりでブログでもぐもぐ唱えることもありましたが、それでまさに”妊娠に近づいている”のかどうかはやはり分かりえないことでした。我が家は我が家独特の事情から、理想的なタイミングを計ることが困難な状況にありましたし、それは妊娠した月も同じで、あまり自信のもてないタイミングでした。これだったら、結果は過去と同じ程度の空振りだろうとしか思えませんでした。でも、妊娠できたのです。自分の身体が変わっていたか、あるいは忍耐力の勝利としか思えませんでした。もしわたしの妊娠率が1/15だったのだとしたら、その15回に一度のチャンスを確かに掴んだ瞬間でした。わたしが結婚した時点での妊娠率はおそらくもっと低かったのではないかと思います。それを東洋医学のお陰で幾らか高めることができ、そしてそのように高めたチャンスをうっかり逃すというミスを犯さなかったから、今、妊婦であるわたしがいるのだと思っています。
2005⁄12⁄13 16:08 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(1)
今日はメンタル的なことを。
「”妊娠”のことを意識しすぎて、それがストレスとなって体調を崩し、結局妊娠できない」と考える人は多いと思うのだけれど、実際にそうしたことをつぶやいている多くの妊娠待ちの方たちのブログなどを読ませてもらっていると、微妙に、ちょっとした違和感を感ずることがあります。
わたしは、妊娠のことを意識することはそれ自体は毒にはならないと思っています。妊娠できた今もそう信じます。問題なのは、妊娠に対する意識しかなくなってしまう、自分がそれだけで満杯になってしまうということなんだと思います。妊娠に対する意識というものは、どんなに最大限に膨らませてみてもさして大きなことではないと思います。知識にも限りがありますし、できることにも限界がありますから。自分がそのことだけで一杯になってしまう、というのは、ある程度の大きさをもっている自分の中に妊娠への意識が沢山詰まっているのではなく、自分がその意識の小ささまで、小さく縮こまって固くなってしまうという感じではないでしょうか。(視野が狭くなるという言い方もされると思いますけれど。)
そうではなくて、自分という器の中の半分ぐらいが、妊娠への強い夢で締められている感じだったら問題ないのだと思います。ありとあらゆる妊娠への意識が自分の中にあるとしても、もう半分、という余裕がありさえすれば、柔軟性は保てると思うので。
妊娠を阻害するストレスとなると誤解されがちなこと、いろいろあります。
まず第一に、子宝に対する夢、希望。それは、やっぱりあっても決して罪じゃないと思います。こんな言い方をするのは、なくても別に悪くないということを配慮しなくてはいけないからなんですけれど。ふつーに”我が子”に憧れる人はその気持ちを素直に大事にしていいと思います。気持ちっていうのはそもそも変幻自在ですから、別に極端に走って捨てたりしなくても、ささやかな形で保持しつづけることがきっとできると思います。
次に、基礎体温を計ることとか、排卵日を予測することとか。
辛さが募ってくると、体温計が憎いとか、ピピピ音が憎いとか、基礎体温表が憎いとかいう感情をもつ方もいるようなんですけれど、そうした感情への落ち込みは、やはり何とか軌道修正した方が良いと思います。「憎い」と思う感情は、確かにストレスになるかもしれません。でも、体温計には罪はないのです。きちんと冷静に基礎体温を計ってタイミングを計ることで妊娠できた人にとっては、その体温計は大いに活躍してくれた戦友として大事に取っておかれるほどのものにもなりうるわけで、結局は、人がどう思うかの違いです。自分自身にとって必要な数少ない大事な道具を捨てたりしたら、結局は自分自身のロスになるのであって、自分自身の負けなのだということを知ってもらえたらと思います。
妊娠待ちで苦しんでいる人たちのブログを巡ってみれば、マイナス感情の共感を結ぶことも可能です。でもそれは、一緒に手に手を取って負ける算段をしているようなものです。苦しみを共感しあうことは心の慰めになるでしょう。でも、共感しあった後には必ず「でも、やけっぱちにならないでまた頑張ろう」という風に、ぜひ励ましあって欲しいと思います。
もう一つ。
「頑張ること」。
「妊娠は、どんなに頑張ってもどうにもならないことだから」ということをよく聞きます。確かにそうです。でもそれは、妊娠が確率論だからです。しかも率が低いからそう思えるのです。妊娠待ちの女性が頑張れることは何一つないと勘違いするのは間違いです。
自分に甘えずに、タバコはきっぱり絶って欲しいと思います。ジャンクフードを食べることが自分の身体に悪いのではないかと不安に思う人は、やはり自分に甘えずに食べない努力をして欲しいと思います。一月だけで結論を出さずに、何ヶ月でも我慢し続けて、半年以上経ってから結果を観察し始めて欲しいと思います。
体質改善に良いと思うことがあるのなら、一ヶ月単位で飽きたり見限ったりしてコロコロととっかえひっかえするのではなく、もっと気長にじっくり取り組んでみて欲しいと思います。
信じる力を支えるのは自分です。「ぐぐぐっ」と支える努力、それは紛れもなく「頑張る」項目です。
努力を怠って、自分自身で確率を下げるようなことだけはしないようにして欲しいと願います。
「マイナスになることをしない努力」と「待つ努力」、この二つは「頑張れる」ことです。
「何も頑張らず、我慢せず、気侭に楽しく生きている方が妊娠できる」と信じている人がいますが、わたしはそうは思いません。わたし自身は、そのようにして妊娠したわけではなく、わたしなりに摂生を続けていたからです。
妊娠した月、確かにわたしは、新たな受験勉強のことや、新しく買い始めたウサギのことに熱中していて、心の大部分が「妊娠」以外のことで占められていました。でも、基礎体温はそれまで以上に毎日欠かさず計っていましたし、排卵日検査薬もタイミングを逸することなくきちんと使って陽性をキャッチしていました。漢方もお灸も太極拳・気功も、時々忘れることはあっても、止めるつもりはありませんでしたし、飽きたつもりもありませんでした。それはもう、わたしにとって日常的な、当たり前の生活習慣になっていたと言えるかもしれません。特に意識することなく、淡々と継続を繰り返していました。鍼灸院の先生からは体質に合わないから辛いものは避けた方が良いと言われていたので、キムチはもう何ヶ月か買ったことがありませんでした(納豆キムチチャーハンはわたしの好物だったのですが)。
わたしは、実際に妊娠して初めて、自分が取り組んでいたことが効果があったのだと確信しました。それまでは、自分の体質が改善されたかどうかなんて分かりようがありませんでした。”気のせい?”程度の変化を見つけてはひとりでブログでもぐもぐ唱えることもありましたが、それでまさに”妊娠に近づいている”のかどうかはやはり分かりえないことでした。我が家は我が家独特の事情から、理想的なタイミングを計ることが困難な状況にありましたし、それは妊娠した月も同じで、あまり自信のもてないタイミングでした。これだったら、結果は過去と同じ程度の空振りだろうとしか思えませんでした。でも、妊娠できたのです。自分の身体が変わっていたか、あるいは忍耐力の勝利としか思えませんでした。もしわたしの妊娠率が1/15だったのだとしたら、その15回に一度のチャンスを確かに掴んだ瞬間でした。わたしが結婚した時点での妊娠率はおそらくもっと低かったのではないかと思います。それを東洋医学のお陰で幾らか高めることができ、そしてそのように高めたチャンスをうっかり逃すというミスを犯さなかったから、今、妊婦であるわたしがいるのだと思っています。
2005⁄12⁄13 16:08 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(1)
さるぼぼと子授お守りです。
今年の5月に、飛騨あずさというご当地品通販ショップで、座布団さるぼぼとさるぼぼ根付け、さるぼぼマグネットを買いました。
座布団に座っているさるぼぼちゃんは、とっても可愛いし、適度に大きくてGOODだし、座布団があるので安定していて飾り易いと思い、一目ぼれしました♪

なんか、すごく沢山ぶら下がっているモノがあるんですけどね(笑)。
右手(向かって左)にぶら下がっているのは、ガン介さんが友人の事故現場にお花を供えに行った旅でお土産に買ってきてくれたさるぼぼストラップの一つです(下に拡大写真あり)。
左手(向かって右)にぶら下げているのは、今年9月にガン介さんの両親と一緒に行った東北旅行で買ってきた子授お守り2種。赤くて犬の絵が付いているのは、山寺日枝神社のもので、ピンク色の方は平泉の毛越寺のものです。日枝神社のお守りの方は安産のお守りも兼ねているので、このまま祈願継続です☆

これは、本来、”根付け”なんですが、携帯ストラップにしてずーっと今でも付いています。子宝祈願に良いと言われるオレンジ色のさるぼぼちゃんも一つ欲しいなぁと思い、購入しました。平仮名で「ひだ」って書いてあるのが可愛いですよね。
実は、妊娠中のメイさまのお腹にしがみついたことがあるんですよん♪ 妊娠菌、吸ってます☆

実は一番存在感のなかったさるぼぼグッズ。マグネットになっているので、ガン介さんのパソコンデスクの支柱にずっと付いています。何故か、今年受けた税理士試験の受験票を挟んであります(笑)。バスケットの取っ手の両側にぶら下がっている、お茶犬はオマケです。こういうのが手に入ってしまうとなかなか捨てられず、ついこういう連結状態になってしまうのでした(笑)

上に書いたさるぼぼストラップです。買ってきてもらって初めて見たとき、「さるぼぼに顔があるのは、違ーーーーう!」と抵抗してしまいましたが、「だって可愛いと思って・・」と言うガン介さん。ガン介さんが座布団さるぼぼの手に掛けて飾ってくれました。

こちらもガン介さんが旅先で買ってきてくれたさるぼぼストラップ。やはり顔があります(笑)。これは仲良しカップルさるぼぼなので結構気に入り、常用のバッグに取り付けていました。
沢山のさるぼぼとお守りに囲まれて・・・。これがご利益というものなのかどうかは分かりませんが、今後も思い出深いグッズとして大事に飾るなり保管するなりしていきたいと思います。さるぼぼは子供の健やかな成長を祈願するものでもあるらしいので、このまましばらくはずーっとお世話になりそうです。
2005⁄11⁄07 11:35 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
今年の5月に、飛騨あずさというご当地品通販ショップで、座布団さるぼぼとさるぼぼ根付け、さるぼぼマグネットを買いました。
座布団に座っているさるぼぼちゃんは、とっても可愛いし、適度に大きくてGOODだし、座布団があるので安定していて飾り易いと思い、一目ぼれしました♪

なんか、すごく沢山ぶら下がっているモノがあるんですけどね(笑)。
右手(向かって左)にぶら下がっているのは、ガン介さんが友人の事故現場にお花を供えに行った旅でお土産に買ってきてくれたさるぼぼストラップの一つです(下に拡大写真あり)。
左手(向かって右)にぶら下げているのは、今年9月にガン介さんの両親と一緒に行った東北旅行で買ってきた子授お守り2種。赤くて犬の絵が付いているのは、山寺日枝神社のもので、ピンク色の方は平泉の毛越寺のものです。日枝神社のお守りの方は安産のお守りも兼ねているので、このまま祈願継続です☆

これは、本来、”根付け”なんですが、携帯ストラップにしてずーっと今でも付いています。子宝祈願に良いと言われるオレンジ色のさるぼぼちゃんも一つ欲しいなぁと思い、購入しました。平仮名で「ひだ」って書いてあるのが可愛いですよね。
実は、妊娠中のメイさまのお腹にしがみついたことがあるんですよん♪ 妊娠菌、吸ってます☆

実は一番存在感のなかったさるぼぼグッズ。マグネットになっているので、ガン介さんのパソコンデスクの支柱にずっと付いています。何故か、今年受けた税理士試験の受験票を挟んであります(笑)。バスケットの取っ手の両側にぶら下がっている、お茶犬はオマケです。こういうのが手に入ってしまうとなかなか捨てられず、ついこういう連結状態になってしまうのでした(笑)

上に書いたさるぼぼストラップです。買ってきてもらって初めて見たとき、「さるぼぼに顔があるのは、違ーーーーう!」と抵抗してしまいましたが、「だって可愛いと思って・・」と言うガン介さん。ガン介さんが座布団さるぼぼの手に掛けて飾ってくれました。

こちらもガン介さんが旅先で買ってきてくれたさるぼぼストラップ。やはり顔があります(笑)。これは仲良しカップルさるぼぼなので結構気に入り、常用のバッグに取り付けていました。
沢山のさるぼぼとお守りに囲まれて・・・。これがご利益というものなのかどうかは分かりませんが、今後も思い出深いグッズとして大事に飾るなり保管するなりしていきたいと思います。さるぼぼは子供の健やかな成長を祈願するものでもあるらしいので、このまましばらくはずーっとお世話になりそうです。
2005⁄11⁄07 11:35 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
大仰なタイトルですが、言いたいことはただ一言。
流石に今までになく安定した二層になっています☆
低温と高温の差は、東洋医学的に心配される開きが依然としてあり(0.6℃ぐらい)、今月妊娠出来ていなかったらこれで悩んだかもしれませんが。
診察まで時間があるから、基礎体温表をちゃんと作って持っていこうと思い(実は9月の頭ぐらいからエクセル記録サボっていたので結構大変だった)、今、いざ作ってみると、ふーむ、なるほどって感じで。2005年に入ってからのデータが比較できるように同じ規格の一本のラインになるようグラフ化されているのだけど、過去の周期と比べてみたら、やはり違うなあって思いました。先月も実は結構悪くなかったんです。でも、満をじして今月来たという感じでしょうか。桂枝茯苓丸と加味逍遥散のセットを安定して飲みつづけてきた成果が先月ぐらいから現れ始め、その実りが今月あったとも言えそうです。先月、先々月はものすごい数、太極拳のお教室にも出ていますし(個人指導含め)。やっぱり大会参加を目指して頑張ってよかったかな☆
東洋医学にふと興味を抱かせてくれた神様に感謝デス。
2005⁄11⁄05 14:33 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)
流石に今までになく安定した二層になっています☆
低温と高温の差は、東洋医学的に心配される開きが依然としてあり(0.6℃ぐらい)、今月妊娠出来ていなかったらこれで悩んだかもしれませんが。
診察まで時間があるから、基礎体温表をちゃんと作って持っていこうと思い(実は9月の頭ぐらいからエクセル記録サボっていたので結構大変だった)、今、いざ作ってみると、ふーむ、なるほどって感じで。2005年に入ってからのデータが比較できるように同じ規格の一本のラインになるようグラフ化されているのだけど、過去の周期と比べてみたら、やはり違うなあって思いました。先月も実は結構悪くなかったんです。でも、満をじして今月来たという感じでしょうか。桂枝茯苓丸と加味逍遥散のセットを安定して飲みつづけてきた成果が先月ぐらいから現れ始め、その実りが今月あったとも言えそうです。先月、先々月はものすごい数、太極拳のお教室にも出ていますし(個人指導含め)。やっぱり大会参加を目指して頑張ってよかったかな☆
東洋医学にふと興味を抱かせてくれた神様に感謝デス。
2005⁄11⁄05 14:33 カテゴリー:どうやって妊娠したのか comment(0)









![適当論 [ソフトバンク新書]](http://images.amazon.com/images/P/4797333456.09.MZZZZZZZ.jpg)
