マタニティ&育児ライフ
ルルドの泉と、ルルドの聖母像について


ルルドはフランスの南境を横断するピレネー山脈のふもとに位置する小さな町で、もともとはほとんど世に知られていませんでしたが、1858年2月11日以後十数回にわたって聖母マリアの御出現があってから、いちやく天下にその名が広まるに至った場所です。その町の郊外に、マッサビエールという洞窟がありますが、これが聖母御出現の聖地です。

貧しい水車小屋に生まれたベルナデッタという13歳になる娘が、川の流れを渡ってマッサビエールの付近に行き、たきぎにする流木を拾い集めていると、突然、大風でも吹くような音が聞こえました。驚いて振り向くと、ちょうどその洞窟の中に、神々しく美しいひとりの女性が立っていました。その御姿、体には雪のように純白な衣服を着け、腰には空色の帯をしめ、手には白い珠と金色の鎖でできたロザリオを持ち、清らかな素足の下にはふたつのバラの花を踏んで、その眼はうっとりと天を仰いでおられました。ベルナデッタはその方がどのようなお方であるかはまだ知りませんでしたが、吸いつけられるようにその御姿にみとれているうちに、胸のなかでなんともいえないような喜びを覚え、知らず知らずのうちに、自分もロザリオを取り出して一緒に祈りを唱え始めると、栄唱を終る頃にはその女性の御姿は消えうせていました。やがてベルナデッタは帰宅し、その話をしましたが、両親も主任司祭もなかなか信じようとはしませんでした。

ベルナデッタはあの女性の麗しさが忘れられず、また再びマッサビエールを訪れました。すると案の定、また御出現に立ち会うことができましたが、その御姿は、不思議なことに、好奇心から彼女のあとをついて行った人々には見ることが出来ませんでした。

このような不思議な女性の御出現は2月11日から7月16日のカルメル山の聖母の祝日まで18回にもわたりました。あるいは好奇心のために、あるいは真の信仰心からか、ベルナデッタについて洞窟に足を運ぶ人々の数は次第に増えて、しばしば数百人にまで達することもありました。

3月25日、聖母マリア御告の祝日のことでした。16回目の御出現に立ち会ったベルナデッタが、「あなたはどなたですか?」と尋ねると、その女性は天を仰ぎながら「私は原罪なくして宿った者です」とご自分の事を明らかにお答えになりました。この時から、聖母は御出現の目的について、ベルナデッタに「ここに聖堂を建てて、多くの人々がこの場所に集まることを私が望んでいますと司祭に告げなさい」とおっしゃり、また「罪人の改心のために祈ってください!」とも命ぜられました。さらにベルナデッタ個人に対しても「私は必ずあなたを幸せにしてあげます。しかしそれはこの世においてではなく、あの世においてです」と有り難い御約束をいただいたという事です。

2月25日、9回目の御出現には「泉の水を飲み、顔を洗いなさい」と命ぜられましたが、ベルナデッタにはその泉らしいものが見当たらなかったので、聖母から指差されたところの土を少し手で掘り起こしてみると、どういうことか水が湧き出してきました。これが後に数多くの病人を奇跡的に治し、一日に12万2400リットルの水を出すようになったというルルドの泉です。

その泉の水による難病からの回復の奇跡は実に驚くべきもので、いままでその聖水を飲みあるいは体に浴びて、医者の見離した病人が全快した例はどれほどあるかわからない程ですが、1861年までの三年間だけでもすでに100件の報告があり、医師会の厳密な調査によってもそのうちの15件は、すくなくとも人知を越えた奇跡であると認められました。

このような奇跡が世間に知れ渡るにつれて、ルルドに巡礼する人の数は日に日に多くなってきました。フランス国内はおろか海外からも、あるいは個人であるいは団体でこの聖地を訪れ、この洞窟の前に跪いて聖母に御取り次ぎを願い、霊肉に大きな恵みを受けた人々は数知れず、またその聖水の力によって難病から回復した者も数え切れないほどです。

リヨンの彫刻家であるファビッシュはベルナデッタに御出現した聖マリアの御様子を彼女から詳しく聞きカララの大理石でその気高い御姿をきざみ、マッサビエールの洞窟内の御出現の場所に設置して、1864年4月4日にその祝別式が挙げられました。今現在も有名な、ルルドの聖母像がこれです。

ルルドにおける病者の全快は、そのすべてが奇跡であるということではないと考えられますが、ルルド医局調査委員の調べたところによると、最初の55年間だけでも奇跡と認定することができるものが4445件にもおよんでいます。またルルドに巡礼する病人がかならず治るというわけでもありませんが、いずれも大きな慰めを得てよく病苦に耐えることができるようになると一般には認められています。

(他サイトの参考資料を基に、独自に編集しました。)





2008⁄12⁄17 03:00 カテゴリー:カトリック comment(0)
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もう大丈夫


今は心も安定しています。
Nさんのことは、わたしの中でもう「終わり」ました。

今夜は、チヒロが帰って来てから、少しじゃれ合ってハッピーなひと時を過ごすことができました。
それまでは、歯軋り→酷い頭痛に悩まされ、夕食に一人で食べたお弁当も戻しそうになってしまって、ヨレヨレでしたが、やはり子供は宝ですね。チヒロとガン介さんのために頑張らなくては!と思い、枕に頭をうずめて「神様、助けてください〜!この頭痛を治して下さい〜!」と心の中で訴えたら、頭痛がすーっと引いてきたようでした。その後、チヒロと触れ合って過ごすことができました。

ウソのような話ですが、これはわたしが時々体験することです。
例えば、独身時代も、酷く胃痛がするときにおミサに出掛けて、おミサの間にも胃痛で辛い思いをするのは嫌なので「イエズス様、どうかこの痛みを取り除いて下さい〜!」と祈ると、おミサが始まる頃にはすーっと痛みが引いた・・・そんなことが2度ありました。

本当に信頼できる方は、誰かということです。
本当に信頼できる方は唯一、主のみなのです。
今夜は、そのことを身をもって実感した夜となりました。

それでは、おやすみなさい。





2008⁄07⁄20 23:29 カテゴリー:カトリック comment(2)
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深呼吸しなくては


深呼吸しなくては。。。

クリスチャンのはしくれとして、他人を非難する前に、自分の目の中にある梁を見つめなくては。
そう思っていてもなかなか心の叫びが止んでくれない。

深呼吸しなくては・・・。心の嵐を鎮めなくては・・・・。
イエズス様に助けを乞わなければ・・・。荒んだ心を癒してくださるように。これまで犯したわたしの罪を赦して下さるように。

イエズス様、ここにいてください、そして全てを解決して下さい!!!





2008⁄07⁄20 13:43 カテゴリー:カトリック comment(0)
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反省してもしきれない


反省してもしきれないぐらいの狼藉を働いてしまいました、この2,3日。
主よ、お赦し下さいとお祈りしなければなりません。深く深く。

自分でも自分の目の中の梁は見えているつもりです。
でも、入院先で同室の患者さんとトラブったときも、どうしても彼女が許せなかった。正義感というものが存在するなら、それを燃やしていました。主治医にも言いました。脱走を試みて(←どうしても退院しようとした)暴れて拘束されたのは、行動の様式の上では誤っていたかもしれないけれど、内容の上では、わたしなりの正義感だったと。主治医も、なんだか合点がいってないみたいな表情だったけれど。でも、そうだったんだ・・・。
今回も同じだった。わたしは”検閲”というものが大嫌い。だからトランプの女王が許せなかった。そんなに深入りするつもりはなかったのに、あっというまに吊るしあげられてしまった。病院で拘束されたとき思いっきり罵詈雑言(「ココは○○(同室の女性の名前)王国かよ〜!!!」「地獄に落ちやがれ〜!!とか・・汗)吠えたときと同じように、大暴れになってしまった。

成長しないなぁ、わたし。
PMSのせいにばかりしていられないよね。
T・Cの主治医が言ったように、わたしは「感情面に問題がある」んデス。(「認知面は正常」でも。)人と上手くコミュニケーションが取れないみたい。これも一種の人格障害なのかな。今度、通院のときに主治医の先生に相談してみようっと。

あ、カテを「カトリック」にしたのに、ふつーに「ワタクシゴト(闘病記)」風に終わってしまった(苦笑)。





2008⁄07⁄12 16:05 カテゴリー:カトリック comment(2)
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不幸?幸せ?


ここのところ、対人関係でマイナーながらも数々嫌な思いをしているような気がします。あっちでゴチン、こっちでゴチン、とぶつかってばかりで、ふーらふら。。(眩暈)
それで、メンヘル難民だと自認してみたり。

これまでもいろんな辛い思いをしてきた人生だったと思う。特に20代は結婚に失敗したところから始まって、恋愛関係ダメダメだった。今思えば酷い鬱状態に陥っていたときもあったと思う。ボーダーっぽい見捨てられ不安に縛り付けられていたときも辛かった。最終的には酷い罪悪感に苛まされた。でも、それがイエズス様の十字架の贖いによって救われたときは、ああ、人生やり直せると思ってほっとした。
でも、キリスト者になったといえども、人生から辛いことを消えない。要するに辛いと考えるか考えないかの問題だということは分かっている。でも、どうして、人生ってこんなに困難なんだろう? どうして腹が立つことばかりなんだろう?どうして納得できない理不尽なことだらけなんだろう? どうして神様は今(というか、最近の)わたしを苦しみの中に置いているんだろう? どうして子育てを苦しみとして味わわせているのだろう? 子供ができないと思ったときも苦しかった。でも、恵まれても苦しかった。むしろ今の方が苦しい。何故こうなんだろう?

でも、やっぱり、わたしは幸せなんだろうという思いもある。
何と言っても、チヒロは笑っている。パパがいないとすぐ泣いちゃうけれど、保育園は大好きだし、パパと一緒のときは家の中でも笑っている。保育園にお迎えに行くと、わたしの顔を見ても笑う。抱きついてくる(ちょっと恥ずかしそうに)。

心配なのは、ガン介さんが痩せ衰えて、疲労が蓄積していること。
どうか、ガン介さんの健康を御守り下さい。
わたしもがんばって、ガン介さんへの負担をできるだけ少なくしようと思います。

幸せを実感できる力っていうのは、信仰心に近いものなのかもしれないですね。
(信仰心に欠いている最近のわたしは、幸福感に欠いているのも当然なのかもしれない。)

(何となく、神様に訴えているような感じで書いてみたので、カテを「カトリック」にしてみました。)





2008⁄06⁄21 20:27 カテゴリー:カトリック comment(0)
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Author:ガン子
2006.7.13、男の子を産みました。
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