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はぐれ狼であったこと

決して自慢できることじゃないのですが、わたしは、いわゆる不妊にまつわるネタのブログを始めてから、現ブログに辿りつくまでの間に、4回引越しをしました。毎回、一部の読者から逃げるためにそんなことをしていました。

この世界は、ものすごく”思い入れが強い”世界でもあり、また一方で、ものすごく意識が”薄弱な”世界でもあります。ものすごく自分の考え方に頑固な人がいる一方で(わたしはこっち)、逆にものすごく自分の考えが無く、あっちの意見、こっちの意見とフラフラよろめき頼っている感じの人もいます。多くは後者でしょうか。どうしたらいいか分からなくて「情報収集」の名の下に漂浪してしまう感じです。不妊には「コレ!」と言った特効薬もなく、妊娠するためのノウハウも人それぞれで情報が錯綜しているから、ある意味やむをえません。一人の人が一度に頑固でもあり優柔不断でもあったりすることもあるかもしれません(わたしもそうだったかなと・・苦笑)。

そんな世界に飛び込んでみて、わたしにとっては、意見の齟齬を感じることが非常に頻繁な世界だと感じられました。かといってそこは議論を戦わせてよりよい方法論を模索するような世界ではありませんでした。感情を交し合い、共感しあい、傷を舐めあう世界でした。他人と共感し合えなくなった時点、他人の傷を舐めてあげる気力を失った時点で、ジ・エンドとなる世界でした。わたしは、どんどんはぐれ狼みたいになっていきました。(そんなはぐれ狼を愛してくれた友もいて、わたしはどんなに心和まされ、感謝したことでしょう!)

でも、わたしにとって、はぐれ狼となって孤高の歩みを続けることが結局、自分を支える根幹となるものでした。完全に参考になる先輩(この人と全く同じようにやってみたら良いと思えるような先輩)を見出すことはできませんでした。土台無理だったと言った方がいいかもしれません。本当に、人の数だけ様々な処方箋が必要な世界だったと思います。孤独になること(言い換えれば、自立すること)は必須でした。自分の身体を自分で見つめ、自分の直感だけを信じ、自分に相応しい場所、自分に必要なアイテムを手探りで見出そうとする旅となりました。他人のやり方に違和感を覚えることは、むしろ、「自分のやり方」を見出す直感を研ぎ澄ますことに繋がったかもしれないと今では思います。他人のやり方を眺めることはある程度役には立ちましたが、徒党を組んだり、もっぱら感情論を交わすだけとなったり、下手したらさらに美辞麗句を交わすだけとなったり・・・といったことは避けるべきことでした。

社会に生まれ出た「子供」というものは、ある程度は社会全体の財産でもあり、「子育て」というテーマはその分、社会の共通項たるべきものであり、「べき論」を論じることも成立するものなのかなと思うのですが、「子作り」というのは、完全にプライベートに閉ざされた問題である点が大きく異なるのだと思います。何故なら、妊娠とは、妻と夫の肉体だけがホームベースとなる問題だからです。どんなに仲間を作って語り合っても、特定の親しい他人のお世話になって子供を授けてもらうケースというのはありえませんし(里子はまた別問題として)、最終的には結局、我が身と伴侶の身に立ち返るより他はない道です。最終的には、他人を交えて複数人で問題を共有するということ、「一緒に頑張りましょう♪」ということは実現しえない道なのです。仲間の励ましに支えられて妊娠することができたと振り返ることは可能ですが、それはやはり自分自身の努力や戦いが存在して初めて言えることだろうと思います。完全に他力本願で、他人(医師?)が敷いてくれたレールに乗っただけで妊娠できたというラッキーなケースもあるでしょうが、そもそも難なく妊娠できる人の方が多数なのですから、そういうケースの人はどちらかというと「難なく妊娠できる人」の部類だったのだと言えるでしょう。
そうではなく、一度でも「ああ、妊娠って難しいんだ」と痛感したことのある人にとって、それでもあえて妊娠を望まんとする道は、嫌でも私的で孤独な道に突き進んでいかなければいけない、そういう寂しい試練の道なのだと思います。そうした道を歩む人にとって、問題の考え方について他人に依存したり甘えたり・・という姿勢は、鼻から本末転倒なことなのであって、妊娠という目的にはほとんど役立たない、せいぜいおまけ的な慰め、あるいは回り道にすぎないように思えます。

わたしはこうしてブログに記事を書くときも、どうしても抽象的なことばかり先に書いてしまうのですが、それは、わたしが経験した具体的なアレコレは結局他人の参考になる可能性がすごく低いと感じるからです。具体的なアレコレは、本人が真剣に自分で模索していかなかければどうしようもないと感じているからです。「自分で模索」するために必要なことや、陥ってはマズイと思うことだけを、あえてできるだけ抽象的に(婉曲的に?)お伝えすることしかできないと感じています。
徒党を組んでいるだけで、知らず知らずのうちに、判断基準を植えつけられてしまうことがあるように思います。自分で判断しているつもりのことも、実は他人の模倣でそうしているにすぎないということがあるように思います。あえて”徒党”なんて組んでいなくても、他人の様子に目を向けるだけであっさりと感化されてしまう場合もあるかと思います。予防線の張り方もまた、人それぞれかなと思います。わたしの場合は、思い切ってかなり意識的に他の妊娠待ちの人と遠ざかっていないと自分が保てない(自分が苦しくなる)ことがすぐに分かったので、はぐれ狼みたいなことにならざるをえませんでした。わたし自身はそもそも他人の判断に流されることの少ない人間なのですが、そうしてあたかも独善的な態度を保っていることが、馴れ合いをむしろ善しとする人にとって目障りになるのではないかと恐れ、自分のブログ内での発言すらも萎縮してしまいがちでしたし、こちらからはあえておべっかなコメントを書くこともできない(あるいは無理して書く)ことが何とも苦しく思えたのです。
そんなこんな右往左往しながらはぐれ狼みたいな姿をして、我ながら惨めだなぁ、みっともないなぁなんて思い、嫌になることもありましたが、”友達100人”と馴れ合う世界に舞い戻ることは最後までありませんでした。最終的には不妊をテーマとしたブログそのものを止めるに至りました。そうすることで、結果としては、自分も守りきることができ、自分の目的に辿りつくことができましたので、やはり正解だったんだろうなと今では思っています。

不妊であることを恥じ、他人に苦労を打ち明けられなかった時代と比べて、こうしてネットでいくらでも語り合えるようになった今は良いと評価し感謝する人も多いようですが、実際のところはどうなんでしょうか。もちろん、不妊を恥とすることは無用となりました。でも、「孤独に(自立的に)取り組む」ことの再評価・再挑戦はあっても良いのではないかとわたしは思っています。
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Author:ガン子
2006.7.13、男の子を産みました。
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